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佐野まり はちどりの庭 Mari Sano Jardin Colibri

2nd Album CD Parque Latino (1998)

Parque Latino Mari Sano

Parque Latino パルケ・ラティーノ
letra y musica Mari Sano

アルゼンチンでの活動始まりの奇跡的な制作
1999年に渡航、ブエノスアイレス録音。日本で追加録音、制作完了。

Producido : Mari Sano y Hirohito Matsuda
プロデュース 松田ヒロヒト&佐野まり

Musician:Mari Sano (Vo, Charango, Gr), Marcelo Jeremias (Flute, Piano), Luis Castillo (Bass), Fabian Tejada (percusion), Ryo Watanabe (percusion)

Grabacion レコーディング
Julio Costa (Studio TNT ) Argentina
Eiji Tani (Studio E-Star) Japon

Mezcla
Masuhiro Yamazaki y Hidemaru Hiyoshi (Studio Visitor) Japon

Mastering
Hiroshi Tsuboi (Tokyo CD) Japon

Ilustracion
Yuji Haseawa

Designer
Yoko Watashige (Colund Nine)

Traduccion
Gaston y Elvy Takahashi (Sapanish)
Mak Taikit y Ai Ito (English)

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「アルバム Parque Latino によせて」 松田ヒロヒト

佐野の音楽はロックである。
もともと彼女のライブパフォーマンスには二つのカテゴリーから構築されている。ひとつはギターを中心としたメロディアスな曲調で日常を歌う世界、もうひとつは南米民族楽器「チャランゴ」の演奏を主体とした世界。彼女が「ロックアーティスト」として紹介されているのは、その作品世界や独特の演奏法が南米音楽を土壌としつつ、ブリティッシュロックやアイルランド音楽から影響を受け、詩の内容も一つの作品世界を展開していることにある。
それは彼女が父親の仕事の関係で幼少期をアルゼンチン・ブエノスアイレスで過ごしていることが大きい。彼女は当時フォークランド紛争やアジア人に対する人種差別といった様々な体験の中で、自分の心の拠り所となる楽器「チャランゴ」を習得、数々の歌が必然的に生まれる。その後、日本に帰国してからは南米帰りを理由に周囲との距離が生じてしまう、ここで決して屈折せず人々に感動を与えることをテーマに作品を創っていく姿勢が、前者の世界に現れている。
仮に彼女が民族楽器をメインとするスタンダードナンバーの演奏家で独自の世界を表現しない疑似アーティストであるなら、観客もその場限りの疑似感動に終わってしまう。

1stアルバム「1番後ろから」では前述した「ギターを中心に日常を歌う」世界を録音したが、今回ようやく「チャランゴを主体とした」世界をスタジオで再現すことに成功した。制作期間6か月、収録作品は佐野のライブアクトで御馴染みの楽曲で、レコーディングはアルゼンチン・ブエノスアイレスで7日間に渡って行われた。
演奏は大変充実している。メンバーは現地の一流ミュージシャン(ジェフベック、オノヨーコ、ポールヤングのサポートや共演を務めたベーシスト、ダニエルメレ率いるオーケストラに所属するパーカッショニスト、Jazzフェスティバルで名を馳せるフルート奏者)が参加、そして日本でジョセピニェイロ、スーザンオズボーン、EPOの音楽に参加する名パーカッショニスト渡辺亮氏を迎えた。
前作CD発売から早2年、制作のきっかけは佐野が15年ぶりに南米を訪れたことから始まる。今回のメンバーとは2回目の訪問の際にブエノスアイレスで偶然に出会うことになった。これは全く予定外の事態で、彼等がセッションからレコーディングまでコラボレートしたのは、前作収録の「ピエロ」と佐野の個性的なチャランゴに心を動かされたためだという。
世界に通用するCD制作、同時に南米市場をはじめとする新たな音楽活動へ挑戦する意志が本作に反映されている。

内容は一連のコンセプトを有している。
1曲目「風にのって」は、森の中で鳥や妖精達が自然と戯れる様子をSEで表現。その後ギターと佐野のダブルボーカルが入ってきて、そこで初めてアルバムの南米への「どこでもドア」が開かれる。

2曲目「はちどり」は、南米の街と隔絶された居住空間に過ごす子供が(危険が溢れる街へ自由に出歩くことはできない)子供がいつものように窓から外を眺めていると、一羽の鳥が近づいてくる。その「はちどり」に誘われるまま、その子供は表に初めて出ていくことになる。演奏は全編チャランゴで、随所に渡辺氏のトーキングドラムが寄り添うようにちりばめられている。

3曲目「下町の公園」は、外に出た子供が初めて現地のある少年と出会う物語で、ここでいう「下町」とは下層階級の密集地であり、「公園」とは河原の砂を無造作にかき集めてつくられた広場のことである。子供達は学校に行かず働いているのだが、彼はそこで仕事をしていた。その公園に誰かが捨てたビンを拾うことが彼等の僅かながらの収入であった。その後、戦争が勃発し結果その少年は15歳にして戦地へ駆り出される。子供(佐野)は仲良くなり一緒にサッカーをしたり遊んだが、それが束の間の友情になってしまうとは信じようにも信じられない流れだった。制作ではベースを基調とした軽快でいて重いリズミカルなサウンドで表現されている。

4曲目「ポトシの星空」は、佐野が15年ぶりに南米に戻った際、初めて訪れた師匠の故郷ボリビアのポトシ(海抜4200m)で空を見上げたところ、まるでシャンデリアのように降り注ぐ星々の瞬きに驚嘆。生まれて初めて見たその星空は彼女の創作意欲を湧かせることになった。観光客が味わう感激とは別物で、そこにはそれまでの出来事や経緯、自身の音楽ルーツの帰拠があったのだろう。
世界的なチャランゴ奏者・ハイメトーレス氏が自身のコンサートで「彼女独自の演奏方法」と評したように、既存の枠に収まらない演奏を聞くことができる。作品は2部構成になっており特に後半部分は意識的ではないにしろ、初期のレッドツェッペリンが演奏していたKilling Floorを彷彿させるし、ギターと同じく実験精神を反映しており、民族楽器は用意に入り込めないスタンスを奏でるものだが、彼女の場合そこに特別な空間はない。

最後のナンバー「ラパスへの道」では、今まさに自身が世界に向けて活動を広げていく決意の歌である。ここでチャランゴの間奏はリードギターのようでありながら繊細な音の特性を生かし、新しいサウンド創りに挑戦している。

ところで佐野のここ2年間の日本での活動は大変めまぐるしい毎日だった。各地のラジオ局の出演依頼が増し、ロックを中心とする雑誌やイベントにも登場。小学校や文化祭、成人式など様々な演奏の機会が訪れた。アンデス地方の伝統音楽フォルクローレで使用される楽器チャランゴが、日本では未だ御馴染でないことから関心を持たれる機会が多いということでもあった。南米を訪れた佐野はブエノスアイレスでガリシア音楽(ケルト音楽の流れを組むスペイン音楽)のグループのコンサートに飛び入りで参加、大喝采を浴びた。その反響から1stCDがラジオ局で取り上げられ、街に俄かに日本語の歌が響き渡った。
本作は2000年にブエノスアイレスで発売される。国を超え、ジャンルを超え、佐野の音楽は旅を続けることだろう。


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